lemoncafe

日々体験したこと、思ったこと、考えたことなどをつづっています。

あの夏、私は完全に山を引退した

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今はメタボでロコモな私ですが、昔はバリバリ?登山をしていました。

登山を始めたのは大学3年の時。友人に夏休みに山でアルバイトしないかと誘われてついていったのがきっかけ。そこは中央アルプス千畳敷山荘(今はホテル)。私は売店担当になり、友人はカフェ担当になりました。ロープウェイで2612mの千畳敷カールに気軽に来られるので、夏はものすごい数の観光客が押し寄せます。アルバイトは4時起きで、まずは早々に自分達の朝食を済ませ、宿泊客の朝食の準備に取りかかります。そして時には朝食前にご来光を見ようと、アルバイトのみんなで宝剣岳山頂まで登ることもありました。実に気楽に、ちょっとそこまで、という感じで。

アルバイトが終了した後、秋の始まりだったと思いますが、その友人と仲の良かった信州大学の大学院に通うお兄さんの案内で穂高岳に登りました。

夜行ーー松本下車、信州大のお兄さんの車で上高地へーー涸沢ヒュッテ泊ーー奥穂高岳ーー岳沢ーー上高地ーー車で松本ーー帰宅

というコースでした。この山行ですっかり登山にハマってしまいました。その後は毎週末、高尾山か奥多摩の山を登るようになりました。卒業後は友人とも離ればなれになり、私は一人で山に登るようになりました。その頃の装備は、キャラバンシューズに赤いデイパック、ジャージのパンツにウール混のチェックのシャツ、下着だけは登山具店で山用のもの、雨具は透明ビニールのもの、という感じ。だんだん山も本格的になるにつれ、ウエアも靴も雨具もザックも本格的なものになって行きました。

その頃の愛読書は加藤文太郎の「単独行」の他、新田次郎の山岳小説。最寄駅の駅前の古書店で山岳関係の古本を立ち読みしまくっていました。

一人で山を登っていたのは加藤文太郎の影響だけではなく、ある時ツアー登山に参加して北岳に登った時、他の人のペースに合わせるのに苦労して、ついにバテてしまったのです。私はペースが遅かったのです。それまで一人で山を登ってきたペースはゆっくりペースで、小休憩を小刻みに取り、大休憩はしない登り方でした。その登り方が見事に崩されてしまった。私はこれはマズイと思いました。どんな山であれ、山でペースが崩れると命に関わると思い、団体登山はやめたのです。

一人でずいぶんたくさんの山に登りました。遠方にはなかなか行けなかったけれど、東京近郊の山はほとんど登りました。

ネットを始めたのも山のためでした。その頃はパソコン通信と言って、インターネットのない時代。ニフティの山のフォーラムをのぞいてみたくてパソコン通信を始めました。山のフォーラムではやがて知り合いもでき、でもリアルで会うことはなく、お互いの山行を話すだけ。

阪神淡路大震災が起こりました。現地の情報やボランティアの情報を知りたい、それがきっかけで、どうやらインターネットというものがあるらしいと知り、山のフォーラムの知り合いと話し合って皆でインターネットに乗り換えました。山のフォーラムという中央集権的なものはなくなったけれど、ホームページや掲示板を作ってお互いに交流するようになったのです。

後に山のフォーラムの一人とリアルで会うようになり、その人が今の夫です。結婚してからは夫の趣味で、北海道の山ばかり登りました。北アルプス派の私はちょっと不満でした。

北海道の表大雪山のテント山行でのこと。黒岳のテント場で朝テントを出るときに、私はギックリ腰になってしまいました。左ひざも痛みを多少かかえていて、その上ギックリ腰ではどうにもならない。テント場の真ん中で、持参の食料を全部無料でテント泊の人達にあげました。その中の一人がお礼にと、黒岳のリフトまで私の荷物を運んでくれて、どうにかこうにか下山できました。

その後は肉体労働的なパートをしていたこともあってたびたびギックリ腰になり、山から足が遠ざかっていきました。整形外科の先生からはもう重いものを持っては行けないとドクターストップがかかり、山は引退することに。

それから10年ぐらい後の夏、腰もすっかり良くなり夫と観光がてら千畳敷カールに行きました。久々の千畳敷カールは懐かしく込み上げるものがありました。せっかくだから宝剣岳の山頂まで行こうということになり、稜線から登ろうとした時のこと。私は生まれて初めて断崖絶壁の岩場で「怖い!」と思ったのです。その瞬間しゃがみこんで一歩も進めません。ものすごい恐怖感でした。一歩間違えれば滑落死する。先に行っていた夫が戻ってきて、私ははいつくばるようにして頂上へのルートから下りました。この時、山はもうおしまいだなと思いました。

若い頃は若さのせいなのか山で怖いと思ったことはなく、槍穂単独縦走の時もキレットが怖いとは思わなかった。むしろあの高度感がワクワクしました。でも学生の頃山のバイトで朝食前にちょっと日の出を見に行った宝剣岳の山頂に、あの夏怖くて登れなかった。残念だったけれど、あの時完全に山から引退したのです。